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『慶應教員インタビュー』小屋逸樹先生インタビュー

楽しくないと言葉って覚えられないし、やる気にならない

――まず、先生の研究分野について教えていただけますか。

僕の専門は、英語とドイツ語と日本語の対照言語学です。
具体例を一つあげると、「AはBである」という単純な構文が、色々な言語でどういう形式をとり、どのような意味を表すのか、とかですね。
それと、日本語のように単語にいろんな要素がくっついて、文法的な関係を表す言語を膠着言語と言います。
助詞の「が」や「を」、「に」などが名詞について動詞との関係を示したり、「行く」という動詞の語幹にいろんな要素がついて、「行かせられなかった」のように使役や可能、否定、過去を表すように。
だけど、日本語の文の中には、助詞があると予想されるのに無い例がある。
例えば「エビスビールあります」って言うでしょ。
これを「エビスビールはあります」にすると、他のビールは無いみたいだし、「エビスビールがあります」とすると、たった今エビスビールを見つけたみたいですよね。
そういう余計な意味を出さずに「エビスビールをウチは置いている」ことを伝えるためには、やはり無助詞にしないといけない。
しかし、どのような場合に助詞が必要とされないのか、あるいは助詞がない方がより自然であるのか……。
本来は助詞が来る言語なのに、わざと来ないのはどうしてなのか。
特に口語体の表現で多く見られる現象です。
このように、日本語は膠着言語なのに助詞がないのは、ちょっと矛盾した現象と言えるんですね。
また、「AのB」という表現は、所有や所属を表すことが多くて、「モーツァルトのオペラ」というとモーツァルトが作曲したオペラになりますよね。
ところが、「オペラのモーツァルト」にするとオペラで有名なモーツァルトという意味になる。
他にも「最多安打のイチロー」や「真相隠しの東京電力」などよく新聞の見出しなどに出ている表現なんですけれども、そういう時の「AのB」はどういう関係をつくっているのか、といったことにも興味があります。
「3匹の子豚」は「子豚3匹」とほぼ同じ意味なのに、「3キロの子豚」と「子豚3キロ」ではどうして意味が違うのか、なんかも面白いですね。
――研究分野以外で興味を持たれていることはありますか

スイスにいた時に日本語を教えていたので、外国人に日本語を教えるということにも興味があります。
日本の語学学校と違って、スイスの語学学校や大学には年金生活の方がよく来るんですよ。
もう退職してやることもないから日本に行きたい。
フランスやイタリア辺りは近くて平凡だから、日本語や中国語など変わった言語をやってみたいって。
だから、70歳くらいの方が一生懸命に日本語を勉強しに来ていたりして面白かったですね。
楽しくないと言葉って覚えられないし、やる気にならない。
また、人間でないと、言葉を複雑な形で使えない。
こういうインタビューが可能なのも我々が複雑なコミュニケーションの体系を持っているからなのであって、サルやイヌではここまで細かく話し合えないですよね。
僕は国際結婚をしたのですが、子供があまり日本語ができないので、どうやって日本語を教えればいいかも考えながらやっています。

迷ったら全部やる!

――先生は色々な言語が話せるとのことですが、語学歴を教えていただけないでしょうか

慶應の文学部英文科にいた時は英語学をやっていましたね。
その後、スペイン語を少し自分で勉強してマドリードでスペイン語を教える資格をとってから、スイスの大学へ。
スイスのドイツ語圏の学校だったので、半年くらい必死でドイツ語の勉強をしてから、バーゼル大学院に行きました。
英語とドイツ語と日本語の比較をするだけではなく、クロアチア語もちょっとやったんですよ。
スイス国内はいろんな移民の方がいるから、話す機会は多かったんですけれど、今では使わなくなって結構忘れてしまいましたね。
現在は、イタリア語をカルチャーセンターみたいなところでのんびりやってますよ。
ヨーロッパだけでなくアジアの言葉もやってみたいのですが、誰かその言語を話す人がいて対話がないとおもしろくないですよね。
以前、タイ語を少しかじってみたことがあるのですが、あの文字が覚えられなくてうまく行きませんでした。
僕は、本で文法の変化とかを覚えるだけではなくて、こう言ったらこう返してきた、それに対してこちらはまたこう答えるっていうキャッチボールがないとつまらないと思うんですよ。
人間の話す行為に興味があるので、やはりインターネットやメールの世界ではなくて、相手が目の前に存在している状態でコミュニケーションを図るというのがやっぱり大事だと思うんですよね。
学生時代から心がけていたのは、やりすぎた後悔よりもやらなかった後悔のほうが大きいだろうということです。
迷ったら全部やる! 少々やりすぎても後で何かの役に立ちますから。やらなかった後悔って残るんですよね。
あの時やっておけば良かったって思うのは非常に嫌だから……その結果が、スペインに行ってスイスで暮らし、それから日本に戻ってきた現在の姿なんですが。

――普段の先生について教えていただけますか

休日は料理もしますし、ワインが好きなので近くのお店でソムリエと話し込んだりしますね。あとは、旅行や映画、クラシック音楽も好きです。
また、故郷の京都に帰るのも楽しいですね。関西圏に行くとなんかほっとするんです。
東京から京都に行くのって、ドイツからイタリアに行ったような気分ですよ。
僕には東京はちょっと堅苦しくて……。ふわーっと包まれる感じがないでしょう?
関西のほうがよくしゃべりますから、言葉も当然たくさん使います。
関東にいると一言足らないなぁって思うことが多いんですよね。
ところが関西だと、うまく言葉でフォローしてくれるから優しい感じがしますよね。
別に地域によって一般化はできないけれど、そういう傾向はあると思います。
まぁ、自分が育ったところだから、地元贔屓なんでしょうけど。

“力まず常にリラックス”

――先生が授業で気をつけていらっしゃることはなんですか。

僕が学生によく言っているのは、とにかく人前で自分の意見を言いなさいです。
自分の言いたいことが言えれば気持ちがいい。受身ではなく自分の考えや思っていることをどんどん話す授業を目指しています。
テーマを決めて「来週はあなたが前に出て先生役でクラスをマネージしなさい」と学生に授業をやらせたりもします。
そこで、他の学生達にも突っ込んで質問させたりとか。
僕みたいな中年男がする質問と、学生がする質問って違うんですよ。
やはり同世代の人間のほうが感覚は合いますから、どんどん人に話を振ってできるだけ学生同士が話をするように仕向けています。
日本の社会では、討論がよく口論と同じように思われてるような感じを受けます。
議論のために質問や主張をしているのに、「こんなこと言われて気分悪い」という風に感情的に解釈しがちだから、みんな気を使って話している。
でも、やはり議論は議論なのだから、反対だと思ったら反対だと言って、議論慣れをするのが大事だと思いますよ。
今は日吉の学生同士っていう共通のバックグラウンドを持っているけれど、今後は、相手が年上者や外国人と話す場合でも、自分の言いたいことが説明できてほしい。
僕は英語と言語学を教えていますが、深刻な雰囲気だと楽しくない。
外国語を勉強するにしても、楽しくやれば自分でもっと使おうという気になるけど、楽しくないと間違えたら恥ずかしいと緊張して構えてしまう。
だから、できるだけ和気あいあいとした教室作りを目指しています。なかなか収拾がつかなくなることもありますけどね。
大教室でも、ちょっとやりにくいんですが、できるだけ学生の意見を聞くようにしてます。

――最後に、学生に一言お願いします。

対人関係を大切にしてほしいですね。
これから社会人となって、人と接触し、意見を聞くことも自分の意見を説明することも自ずと増えてきます。
だから、今のうちにできるだけ他人にオープンな態度を身につけてほしい。
おおらかな気持ちで、いろいろなタイプの人とコミュニケーションをとっていってほしい。
あとは、緊張していると普段の力が出せないので、リラックスすることを心がけることです。
昔、4年生が「就職が決まったから、先生、何か書いてくださいよ」と色紙を持って来たことがあるんです。その時、僕は“力まず常にリラックス”って書いたんですよ。
力を出す為には、自然な姿でいるようにしないといけないと思って。
そしたら、その学生は「こんなんじゃ力が出ませんよ!」とあきれていました。
僕としては考えて書いたつもりだったんですけど、彼としては力強い励ましや熱い言葉を期待していたんでしょうね(笑)


――小屋先生、ありがとうございました!


記事担当:藏町有香、岡村知美、土井隆、神山智帆(取材日:2009年6月3日)